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プラキ寺院(Pura Pulaki)

プラキ寺院は、バニュポー村(Desa Banyupoh)、ゲロクグラク郡(Kecamatan Gerokgrak)の海岸沿いに位置しており、シンガラジャ〜ギリマヌク間の幹線道路沿い、シンガラジャ市から約53.5kmの場所にあります。
特徴的な動物としては、猿の群れと白い鳥が有名です。
プラ・プラキは岩山と低木が茂る山の斜面に建てられています。

プラ・プラキの創建は、ダン・ヒャン・ニラルタが東ジャワのブラムバンガンからバリのダレム・グゲル(Dalem Gelgel)へ旅をした歴史と密接に関係しています。
これはダレム・クリ・ワトゥレンゴン(在位1460〜1550年)の統治時代のことです。

プラ・プラキが淡水の湧くプラキ湾(Teluk Pulaki)に位置していることから、この地域は何世紀も前から人が訪れていたと推測されます。特に航海の途中で水が必要な交易船が、ジャワやマルク方面に向かう際に寄港した可能性があります。この地で作られていた物として、ヤシの樹液から作るパームシュガーが考えられ、ギリマヌクからプラキにかけてロンタル椰子の木が生えていることが証拠とされています。

こうした説明から、プラキ地域は聖地として、また生活活動の場として先史時代から存在していたと考えられます。この地は1343年のマジャパヒト王国によるバリ侵攻の際にも言及されています。ケトゥット・ギナルサによる『ガジャ・マダのバリ遠征記』には、ガジャ・マダ軍がジェンブラナに上陸し、プラキやワンガヤ村を通ったと記録されています。

さらにプラキは、1380年頃にワイシュナヴァ教派の中心地となったことが、『ブワナ・タットワ・マハレシ・マルカンデヤ』に記されています。また、イ・グスティ・バグス・スグリワが書いた『ドゥウィジェンドラ・タットワ』にも次のような記述があります。

「弟よ、ここに留まり、娘のスワバワと共に住みなさい。彼女はすでに清められ、バタラ・ダレム・ムランティンとなった。そしてあなたはバタラ・ダレム・クトゥとなり、人々に崇められるだろう。私はこの場所を人の目には見えぬように変える。皆、霊的な存在になるのだ。」

この後、この村は「プラキ(Pulaki)」と呼ばれるようになりました。

参考文献 :https://disbud.bulelengkab.go.id/informasi/detail/artikel/pura-pulaki-87

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